お気持ち表明

ただのお気持ち表明です。専ら自分語りと思考の整理を兼ねて

引っ越し

 先日、僕は引っ越しをして新居に住み始めた。僕の記憶の中で引っ越しをするのは初めてで、それがあまりにも大規模なもので僕自身かなり精神を削られた。ようやくある程度落ち着いたので今回は引っ越しについて書こうと思う。

 

 

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 僕を取り囲む家庭環境はどう頑張っても普通とは言えない。そもそも、僕は幼少期からずっと割ととんでもない家に住んできた。立派な木々が周囲を取り囲むように林立し、緑が生い茂り、春には筍が取れ、夏には大量の虫が湧き、秋にはムラサキシメジが生え、冬には大量の落ち葉が降ってくる。当然ながらここは東京である。しかも青梅や奥多摩といった西の奥地でもなく(決して馬鹿にする意図はありません)、どちらかといえば埼玉県に近い方に位置する場所である。一言で表すなら、「緑地のド真ん中に家を建てちゃいました」といったところだ。築五十年は経っているそう。

 話に聞くとどうやら祖父が昔、個人で機械の部品を作る会社を立ち上げた時に建てた自宅兼作業場らしかった。確かに、家には何やら、一体何の用途に使うのか分からない大きな鉄の塊が置いてある工場のような場所がある。恐らくは部品を加工するのに使ったりする機械なのだろう。祖父が何故こんな場所に建てたのかは検討もつかないが、しかし周囲に建っている他の家がないので、ここなら騒音を全く気にせずに作業できそうであるし、そういう理由だったのかなどと勝手に推測している。

 立地が立地なのでこの家で住むには多くの不便があった。第一に虫があまりにも多すぎる。緑に溢れているので当然だが夏場は地獄だ。対策なしに庭を歩こうものなら一瞬にして10箇所は蚊に刺される。僕もどれだけの蚊の命をこの手で奪ってきたか分からない。また蛾も大量発生する。夜なんかは玄関を開けたらすぐに閉めないと光に釣られてドアに張り付いているたくさんの蛾が家の中に入ってくる。他にも蜘蛛の巣はそこら中に張られているし、ゴキブリはもちろん、ムカデやらゲジゲジムシもたくさん出現する。虫嫌いにとっては地獄だと思う。僕は無理でした。あとは光回線が引けないのでインターネット環境が劣悪、風呂が汚いしアナログ式、テレビの電波はちょっと風が吹くとすぐに微弱になる、冬はひたすら冷え込む、下界に降る際に必ず大きな坂があり、出かける度にその昇り降りを強いられるなど、今で考えると色々と厳しいものがあった。僕は幼少期からずっと住み続けていたので慣れていたが、代わりに「家ってみんなこういうものなんだ」と幼い頃の価値観が狂う原因にもなった。

 

 新居に移って僕は初めて「自分の部屋」というものを手に入れた。初めての自分の城である。今までは和室で布団を敷いて祖父と同じ部屋で寝ていた。自分のゲームや楽器等が置いてある部屋はあったが、そこは寝泊まりするスペースはなかった。何せ、前の家はゴミで埋め尽くされていたからである。

 当時、大学生のうちに引っ越すなんて夢にも思っていなかった。都の緑地化計画とやらでいつかは家の土地が収用されて立ち退きさせられるという事は前々から聞いていたけど、まさか一気にここまで話が進むとは予想だにしていなかった。でも今引っ越しの大変さを考えれば、大学生のうちに片付けられて良かったような気もする。社会人になってからじゃ体力も精神も持たない。

 

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物置と化した工場。このビニール袋が奥まで続きスペース全体を埋め尽くしている。

  これらの中身が袋にまとめられず、部屋中に散乱している様子を思い浮かべてもらいたい。使えるはずの部屋はゴミで埋め尽くされ、占拠されていた。今回の引っ越しが大変だったのも、ひとえに大量のゴミの整理と処理に追われたからに他ならない。これらはほとんど全てが僕の母親のものである。というのも、母親は当時精神を患っていた。今はかなりマシになっているけれども、その影響で所謂買い物依存症になっていたらしい。そんなわけで使いもしない化粧品だったり、雑誌だったり、洗剤だったりが家に増え、本人がその事を忘れてまた大量に買っての繰り返しでゴミが積み重なっていくという寸法だ。当然埃もどんどん溜まっていくので家にいる時はマスクが必須だった。はっきり言ってゴミ屋敷と呼んで遜色なかった。

 

 

 引っ越しは苦難を極めた。契約が済んで新居にはいつでも入れる状態になっても家から必要な物を運び出す為にゴミの山を片付けなければならないし、新しく家具を買ったりしないといけなかった。僕はその手の知識にひたすら疎かったし、家族3人(内まともに働けるのは僕のみ)で全てをやるのはどう考えても無理だったので、毎回週末に親戚一同が集って手伝ってくれるという一大行事と化していた。親戚がいなかったら間違いなく今頃引っ越せていなかっただろう。私物の整理だけでも大変だったのに加えてゴミ処理もやった。「どうして母親がやった事の尻拭いをさせられなければならないのか」という気持ちも正直あったけど、病気だったのだから仕方ないと諦めてせっせかと働いた。そして、ついこの間ようやくそれが終わった。

 引っ越しって大変だなと思ったし、もう二度とやりたくないなと思った。少なくとも実家を移すのはもう嫌だ。とにかく精神を削られた。精神的にも肉体的にもしんどいイベントだった。それとも、こんなゴミだらけの家だからこんなに苦労したのだろうか。まあもう無事に終わったし考えなくてもいいような気がするけど。

 こんな感じで前の家の事を散々に書いてきたけどやっぱり長年住んでいたからいざ離れるとなるとまた複雑な心境になるというか。やっぱりなんだかんだ愛着はあったんだろうと思います。あと良いところもあった。周囲に家がないから近所というものを全く考えなくて良いし、すぐそこに緑地公園があって夜中に発狂紛いの事をしても誰にも見られない所とか。でもやっぱり新居の方が100倍便利。文明の進歩というものを僕は肌で実感している。風呂が自動で沸くとか。

 

 引っ越したけど僕にはまだまだやる事がある。僕は今、自分の私物を入れたダンボールと戦っている。自分の荷物をちゃんと出さないといけない、それがあまりにも億劫なので少しずつ進めようと思っている。他にもクーラーやテレビのアンテナがついたり、光回線の工事があったりと新居が完全体になるまでまだまだかかる。

 ちなみに、僕は人を家に呼んで遊んだりする行為に割と憧れている節があるので全部終わったら誰か遊びに来てください。ちゃんと客間があるので個室での寝泊まりも可能です。

 

 どうでもいいけど、僕も物を無計画に買ってみたり、中々捨てられなかったりする癖があるような気がする。別にいらないのに母親の遺伝子を引き継いでしまったのか、将来僕も同じような事を繰り返すのかもしれないと思うと本気でゾッとする。嫌だ。

 

 散漫になってきたので今回はこの辺で。最後に脳を溶かすアンビエントで終わりにします。睡眠用にどうぞ。

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